
こんにちは、夏目です。
いつも記事を見ていただきありがとうございます。
本記事では、
私の中に残っている適応の経緯を整理します。
私にとって養育は無条件ではなく、
従うことが安全の条件でした。
関心の移動とともに役割が固定され、
必要とされる形に自分を合わせることが習慣になりました。
これは評価でも反省でもなく、経緯の記録です。
機能不全家庭のチェックリストを作りました
こちらになります
養育と引き換えの服従
生きるのに必要なことを
盾にされた幼少期でした。
言うことを聞かなければ食事を抜かれ、
親の意に沿わなければ怒られました。
やがて親の顔色をうかがうようになり、
自発的な行動は減りました。
当初は抵抗もありましたが、
反発すれば食事を抜かれるため、
従うという選択を取りました。
生き残るための適応でした。
この適応はその後も続きました。

POINT:
これは従順さではなく、生存のための適応でした。
ネグレクトの始まり
ネグレクトが始まったのは、
兄弟が生まれた頃だと認識しています。
親の関心は兄弟に向き、
病弱だった私は後回しになりました。
育児コストの低い方へ
資源が流れたのだと思います。
役割を持たなければ
居場所は維持できないと判断し、
家事や兄弟の世話を引き受けました。
その後、親がうつ状態になると、
親のケアも加わりました。

POINT:
居場所は、役割で維持していました。
セルフネグレクトの始まり
セルフネグレクトは、食から始まりました。
育児放棄。
意に反すれば食事を抜かれる対応。
体調に合わない食事。
体が拒否しても、
生きるために食べました。
不調は続きました。
やがて感覚は鈍くなりました。
異常という概念はありませんでした。
・指示通りに食べられない自分を責める
・体に合わなくても無理に食べる
・感覚より指示を優先する
自己への強制が基準になりました。
食べる量も内容も他者基準。
体の感覚より、外部の指示を優先する。
POINT:
生き残るための適応が、負債として残りました。
ーー
この構造は、再学習するまで続きました。
約30年の経過でした。
ーー
※参考文献はこちらです
※愛着障害もかなり深いところまで食い込んでいました
と今回はここまでになります。
ここまでお読みくださり
ありがとうございました。
