思考と構造の実験室

12年以上の当事者経験をもとに、情緒的ネグレクト、ヤングケアラーや機能不全家族の生きづらさの構造と向き合い方を言語化

機能不全家庭での適応の構造と記録




こんにちは、夏目です。

いつも記事を見ていただきありがとうございます。

 

本記事では、

私の中に残っている適応の経緯を整理します。

 

私にとって養育は無条件ではなく、

従うことが安全の条件でした。

 

関心の移動とともに役割が固定され、

必要とされる形に自分を合わせることが習慣になりました。

 

これは評価でも反省でもなく、経緯の記録です。

 

 


機能不全家庭のチェックリストを作りました
こちらになります


養育と引き換えの服従

 

生きるのに必要なことを

盾にされた幼少期でした。

 

言うことを聞かなければ食事を抜かれ、

親の意に沿わなければ怒られました。

 

やがて親の顔色をうかがうようになり、

自発的な行動は減りました。

 

当初は抵抗もありましたが、

反発すれば食事を抜かれるため、

従うという選択を取りました。

 

生き残るための適応でした。

 

この適応はその後も続きました。

 

 

 

POINT:

これは従順さではなく、生存のための適応でした。

 

 

ネグレクトの始まり

 

ネグレクトが始まったのは、

兄弟が生まれた頃だと認識しています。

 

親の関心は兄弟に向き、

病弱だった私は後回しになりました。

 

育児コストの低い方へ

資源が流れたのだと思います。

 

 

役割を持たなければ

居場所は維持できないと判断し、

家事や兄弟の世話を引き受けました。

 

その後、親がうつ状態になると、

親のケアも加わりました。

 

 

 

POINT:

居場所は、役割で維持していました。

 

 

セルフネグレクトの始まり

 

 

セルフネグレクトは、食から始まりました。

 

育児放棄。

意に反すれば食事を抜かれる対応。

体調に合わない食事。

 

体が拒否しても、

生きるために食べました。

 

不調は続きました。

やがて感覚は鈍くなりました。

 

異常という概念はありませんでした。

 

・指示通りに食べられない自分を責める

・体に合わなくても無理に食べる

・感覚より指示を優先する

 

 

自己への強制が基準になりました。

 

食べる量も内容も他者基準。

体の感覚より、外部の指示を優先する。

 

 

POINT:

生き残るための適応が、負債として残りました。

 

ーー

 

この構造は、再学習するまで続きました。

約30年の経過でした。

 

ーー

※参考文献はこちらです

 

※愛着障害もかなり深いところまで食い込んでいました

 

と今回はここまでになります。

 

ここまでお読みくださり

ありがとうございました。